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2023年6月9日 更新
那智勝浦町名誉町民について
那智勝浦町にゆかりがあり、世界的な活躍や町の発展への貢献等で、顕著な功績を残された方を、郷土の誇りである「名誉町民」として顕彰しています。

(敬称略)

西田 修平 (にしだ しゅうへい)



顕彰年月日:昭和63年11月5日

「郷土のオリンピックメダリスト」
 明治43年3月21日 現 那智勝浦町川関(かわせき)生まれ。
 棒高跳びの選手として、1932年のロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得。
 続く1936年のベルリンオリンピックにも出場し、2大会連続のメダルを獲得。
 その活躍ぶりは、ベルリンのオリンピックにおいて大江季雄選手とともに同記録で2位3位を分け合った「友情のメダル」のエピソードとともに語り継がれています。
 また、1964年の東京オリンピックでは陸上競技審判長の重責を果たすなど、日本体育界の振興に寄与されました。

【略歴】
明治43年3月 現在の那智勝浦町川関で生まれる
旧制和歌山県立和歌山中学校 卒業
早稲田大学理工学部 卒業
昭和10年4月 株式会社日立製作所 入社
昭和39年   紫綬褒章を受ける
昭和40年9月 株式会社日立冷機常務取締役 就任
昭和55年3月 同社 退社
昭和62年4月 勲三等瑞宝章を受ける
(昭和63年10月時点)日本オリンピック委員会名誉役員 
(    〃    )日本陸上競技連盟審議委員     
(    〃    )日本学生陸上競技連合会副会長    
平成9年7月 逝去(87歳)


銀メダルと銅メダルの半分ずつをくっつけ、2つのメダルにして分けあったことは「友情のメダル」として有名なエピソードとなっています。





一般財団法人和歌山陸上競技協会の主催により、2022年から「西田修平記念陸上競技大会」が開催されています。
那智勝浦町からは、氏の競技種目である棒高跳びの部の優勝選手に対し、那智勝浦町長賞を贈呈させていただいています。

中村 覺之助 (なかむら かくのすけ) 



顕彰年月:令和3年9月10日
  
「日本近代サッカーのパイオニア」
 明治11年5月15日 現 那智勝浦町浜ノ宮(はまのみや)生まれ。
 東京高等師範学校(現 筑波大学)在学中、ア式蹴球部(現 筑波大学蹴球部)を創設。
 また、海外の文献を翻訳・編集し、東京高等師範学校蹴球部の名で日本初のサッカーの指導書を出版。
 明治37年には、中村氏の企画により日本で初のサッカー国際試合を行うなど、その活躍は日本サッカーの普及に大きく寄与されました。

【略歴】
明治11年5月 現在の那智勝浦町浜ノ宮で生まれる
  32年3月 和歌山師範学校 卒業
     4月 宇久井高等小学校にて教師になる
  33年4月 東京高等師範学校 入学
  37年3月 東京高等師範学校 卒業
  38年   清国山東省済南師範学校にて教鞭
  39年7月 逝去(29歳) ※現代の満年齢表記では28歳


公益財団法人日本サッカー協会のシンボルマークは、日本にサッカーを紹介し普及に尽力した氏の故郷・熊野の霊鳥「八咫烏(やたがらす)」を図案化したものともいわれています。
サッカー日本代表がワールドカップに出場される際には、日本サッカー協会役員の皆様が熊野三山に必勝祈願にお越しになっています。


氏の出身である浜ノ宮地区にあるJR那智駅前に、顕彰碑を設置しています。

那智勝浦町体育文化会館ロビーにて展示を行っています

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